人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Walking wounded

Top

Homeward Bound

映画の仕事でマカオに行ったことがあります。もう十年も前のことです。マカオに到着したのは深夜1時を過ぎていました。霧のような雨に濡れるマカオの街並はとても古びていて、石畳の上を小さなタクシーでがたごとと走っていきます。翌日は仕事でしたが夕方には終わってしまい、夜は監督や出演者、撮影クルーたちと食事をしたり、カジノを覗いたり、きれいな女の子を眺めたり、そんな風にして過ごしました。次の日、私以外のスタッフは次の目的地である上海に旅立ちました。私はもう一日マカオに残るつもりで、香港を夜に発つチケットを手配していました。ひとりぶらぶらと街を散策し、日が暮れてからホテルに戻り、チケットを見ると手違いで日付が一週間先になっていました。

差し迫った仕事もなかったので、しばらくの滞在を覚悟しました。実際東京行きの飛行機はどれもいっぱいで、空いているのはファーストクラスだけでした。ホテルを確保すべくツーリストに出向きましたが、週末のマカオはどこも満室で部屋がありません。仕方なく広場のカフェでビールを飲んでいると、3人組の中国人の女の子がやってきて、私に遊ばないかと言います。観光客風の男のいるテーブルを巡回しているようでした。間に合ってる、と私は首を振り、またビールを飲んでいました。

ラストオーダーの声がかかり、私はカフェを追い出され、サウナでも行って時間をつぶそうと歩き出したとき、さっきの3人組の一人と狭い路地ですれ違いました。あ、と彼女は気づき、ああ、と私も笑いかけました。他の二人は?と聞くと、すでにお客がついたとのこと。自分は胸が小さいんで人気がない、と拙い英語で言います。細い腕を絡めてくるので、実は泊まる場所がないことを告げると、自分の部屋に泊まってもいい、と言います。部屋は友達とシェアだけど今夜は私しかいないから、と。
Homeward Bound_c0080716_18191227.jpg




当時私はまだ二十代で、そういうことに強いためらいがあって、結局彼女を買うことはできませんでした。彼女は私と同い年で、淡い水色のワンピースを着て、ビーズがいくつも付いたバッグを持っていました。きみはこれからどうするの?と訊くと、今夜は帰って寝ると答えます。泊まるところがないなら泊めてあげる、と言うので、宿泊代を払う約束をし、招かれるまま彼女の部屋に行くことにしました。

彼女のアパートは石造りで、古いけれど立派な建物でした。狭い階段を上がって、タイルばりの暗い廊下を並んで歩きました。部屋は二つあって、一つはリビング、もう一つがベッドルーム。どちらの部屋も恐ろしく整頓されており、リビングにはテレビとラジカセがありましたが、ベッドルームにはキングサイズのベッドがあるだけ。ここで3人一緒に眠るの、と彼女は言いました。「なかよしなのよ」。その後彼女はシャワーを使い、私はぼんやりと中国語のテレビ番組を見ていました。

夜が更けて、私たちはベッドに入りました。彼女は3分もたたないうちに寝息を立て始めました。私は彼女に背を向け、窓の外の夜の露地を見ていました。街灯の明かりの下だけに雨が降っているのが見えました。窓は少し開いていて、そこから雨音が聞こえてきました。私はなかなか眠ることができず、長い間じっとしていました。でも、その雨の音をこれからずっと忘れないだろうと思いました。

今朝、ベランダに降る雨を見ながら、私はあの晩に聞いた雨音を思い出しました。もう会うこともないし、会ってもきっとわからないだろうけど、どうか元気で。
Homeward Bound_c0080716_44358.jpg

by unchained_melody | 2006-09-13 18:33 | Travel